Menu
ライフログ
最新の記事
カテゴリ
全体 Persian note ペルシャンテースト ペルシャングッズ ペルシャの詩 他 ペルシャのエスプリ イランの街角 スキャナー押し花 デイリーライフ Special days 料理教室 Letter from Tokyo take a walk & cook 以前の記事
2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 01月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 06月 2019年 04月 more... その他のジャンル
記事ランキング
ブログパーツ
画像一覧
|
2008年 03月 10日
ホスローには前の妃マリアンとの間にできた息子、シルエがいた。まだ幼さを残すシルエではあったが、継母となったシーリーンに秘かに恋心を抱き始めていた。その気持ちは年追う事に強く確かなものとなり、やがてシルエが父ホスローに劣らぬほどにたくましくなったある日、恐ろしい事はおきた。シルエは父ホスローを牢に入れ、王位を奪った。あげくの果てシーリーンを妻にする事を宣告して、遂にホスローが寝ている時をみはからい、ナイフで胸を一刺して殺害してしまった。翌朝、それに気づいたシーリーンは半狂乱となって嘆き悲しんだ。 やがて葬儀を終え墓へと向かい、落ち着きを取り戻したように見えたシーリーンは最後の別れの時を二人だけにして欲しいと頼んだ。そして服を着替え宝石をつけて美しく着飾ると、横たわるホスローに口づけをした。そしてホスローの胸の上にナイフをたてて彼を強く抱擁した。 シーリーンは静かに目を閉じ、ホスローの胸の上で永遠の眠りについた。 おわり イラン人の誰もが一度は聞いたり読んだりした事のある「ホスローとシーリーン」は ペルシャの詩人、ニザーミー(Nizami Ganjavi 1141年〜1209年)によって書かれた。今回、6回にわたり書いたこの話は、ペルシャの昔話として祖母から聞いたもので原作に忠実でないもかもしれないが、大筋こんな話だと思う。 舞台はササン朝ペルシャ(226年〜651年)の時代。 西イランのケルマンシャ州にはカステ シーリーン(シーリーンの城)という地名が残り、2006年にはイラン、フランス、イギリス、アメリカの合同調査で300m×100mの城跡も発見された。 「ホスローとシーリーン」はしばしば「ファラハットとシーリーン」としてパキスタンやインドで映画化されているのも興味深い。 .
by Cafe-persia
| 2008-03-10 13:39
| ペルシャの詩 他
|
ファン申請 |
||